鶴岡の食文化を紡ぐ人々
No.058 ~越沢三角そば~
越沢三角そば生産組合 野尻善共さん・越沢自治会 大滝由吉さん
三角錐の米粒よりも少し大きいくらいのこげ茶色の実。山形県の特産品ともいえる“そば”。今回取材したそばの品種の一つである“越沢三角そば”は2016年に「在来作物」に認定されました。鶴岡の温海地域の越沢で、細く長く受け継がれていたこの小さなそばにまつわる地域のお話を、生産組合のメンバーの2人にお聞きしました。
昔からそばをつくっていた越沢集落
鶴岡の市街地から自動車で40分弱。湯田川温泉を横目に、大日坂トンネルを過ぎ、山の深くなる方へ国道345号線を進むと越沢にたどり着きます。越沢には「そば処・まやのやかた」というそば店があり、訪れた人々が地元の味を楽しむことができます。
越沢は、集落内に小さな川が流れ、それに沿って家々が並んで、いかにも山間の集落という雰囲気です。現在、約270名、82世帯が暮らしています。
今回取材をさせていただいたのは、越沢三角そば生産組合の野尻善共組合長と越沢自治会の大滝由吉会長。おふたりとも越沢三角そばの生産者です。越沢三角そばは2016年に在来作物に認定されました。それ以前は3軒の家で自家用でのみ栽培していたのですが、現在は9軒に増えお互いに学び合いながら生産しています。
左が越沢三角そば、右がでわかおり
「今年のそばはピカピカしてんだや。作付面積の広い“でわかおり”と比べると、粒自体は小さいけど歩止まりがいいんだよな。」「んだ。小さいんだけど、実がギュッと詰まってるって感じだなやの。ほら見てみれ。」 野尻さんと大滝さんは楽しそうに三角そばの話をしながら保管してあったそばの実をみせてくれました。三角そばのコロッとかわいらしいフォルムに、実がつまっている感じがします。
※歩止まり(ぶどまり):殻つきの状態から、殻を取り除いた時の実際に食べられる部分の割合。
そばが食べられる そば処・まやのやかた
三角そばが在来作物認定をうけたのは、本当に偶然の産物でした。越沢に別の仕事で来ていた山形在来作物研究会のメンバーの方が、自治会長に話を聞いていた時のこと、三角そばの話題が持ち上がりました。その聞きなれない名前に、詳しく話を聞いてみると鶴岡市で主流の品種でわかおりとは交雑しないように別の畑で育てているということで、これはもしかしたらまだ知られていない在来品種の可能性が高いと思ったのだそうです。後日そのために山形大学の先生と共に現地調査、確認に至ることとなりました。
この三角そばが在来作物として認定されるまでは、越沢の人たちも、ここにしかないものであるという意識は特になかったそうです。
「認定を受けてから越沢三角そば生産組合をつくって、メンバーで作付面積や収量を増やしていく相談を毎年してんなや。認定された時は、転作の補助対象にはでわかおりしかなってなかったけど、自治会で三角そばも対象になるようにがんばったなやの。」かつては越沢で作るそばといえば三角そばでしたが、育てて補助のもらえるでわかおりに変わっていき、減っていったという経緯があります。三角そばが補助対象になることで、面積も増やしやすくなりました。
昨年の収穫量がトータルで200㎏、天候に左右されながらも徐々に収穫量を増やしています。「認定を受けてから3年たったけど、土台作りはできたと思う。来年はまやのやかたで出すそばを100%三角そばで作れるかもしんねの。」
畑はすぐ山のそばだ
慣れた手つきで唐箕にそばを入れる
越沢では、毎年欠かせない行事がいくつかあります。そのひとつが、12月12日の「山の神」のおまつり。この日は、山からの恵みに感謝する日。山仕事の人も、山には入らないで里で過ごします。山菜、ヤマドリ、ノウサギなどの山の幸に加え、欠かせない物が白餅と”そば”です。
「この時のそばは三角そばで作りたい。食べておいしいのは三角そばだもの。どんなふうに美味しいかといわれると困るけど、香りがいいし味もいい。昔はどの家でも自分たちでそば打ちをしてたなや。だから、今もどの家に行ってもそば切りの道具はあるはずだよ。」
他にかえられない三角そばのおいしさをわかっているからこそ、細々でも残ってきた所以なのでしょうか。
唐箕でそばの実を分ける
色々なお話を聞きながら、お二人が途中にしている作業があるというので見せてもらいに作業場へ案内していただきました。到着するとすぐ、手慣れた様子で作業をはじめました。そばの実は収穫後、ビニールハウスで天日干しにしています。数日で乾燥したら、ゴミなどを取り除き、粒の大きさで振り分けます。見せていただいた作業は、ゴミ取り・振り分けの作業。唐箕(とうみ)という道具を使います。
木製の唐箕は、ハンドルを手動で回し、回転する羽で風を送ります。その先には一定の量でそばの実が落ちてくるようになっていて、風に飛ばされ重い物は一番手前の出口へ、その先の出口からは次に重い物が、最後に軽いゴミや殻などが落ちるようになっています。粒の入っているそばの実を2,3回唐箕にかけ、粒が揃ったら米袋に入れて保管します。採れる量が多くなったら乾燥器なども導入していけたらと言います。今回採れたものは、まやのやかたで蕎麦として出す以外はすべて来年の種子として使われます。すぐに食用として使ってしまうのではなく、計画的に、次年度にどの位の収量が欲しいかを考えながらの種まきになります。4年目も、焦らず一つ一つ丁寧に段階を踏んでいけたら。と話してくれました。
公民館には集落の写真アルバムが保管されている
集落の一体感
越沢を語る上で無視できない歴史の一つに、昭和26年に起こった越沢大火があります。幸い、亡くなった方はいませんでしたが、112世帯のうち92世帯の家屋を消失し、大きな損害を受けました。この時、住民のつながりはより強固なものとなり、住民を少しでも元気づけようと越沢音頭をつくりました。
今でも越沢音頭はイベントの時には皆で一緒に踊るのだそうです。そんな歴史のある越沢だからこそ、住民同士のつながりが人一倍強い地域であることを自負していると言います。
大火の当時の写真が残されていた
現在越沢には“活性化委員会”というものがあり、住民と集落のこれからをどうしていくか、を話し合いながら毎年趣向を凝らした企画を実施しています。委員会で作っている自治会カレンダーには、地域行事を載せて全戸に配布しています。使用している写真は越沢フォトコンテストで応募のあった作品です。平成29年度には住民投票で越沢の花を選定し、堂々の一位でそばの花に決定しました。それ以外にも外部から雪下ろし協力隊を募集し、地域外からも人が来やすい仕組みをつくれないかと頑張っています。
雑談がてら近所のそば名人に種の様子を確認してもらう
三角そばを越沢だけでなく温海全体で、という意見もありますが、今は越沢の中で大切に守り継いでいきたい、と話すお二人。
「来てもらうことに意味があるから、この三角そばを味わいにたくさんの人が越沢に訪れてもらいたい。だから、ここで栽培するのに意味がある。」将来、知名度をどんなふうに上げて行けるかを組合で考えているところです。
そばの実がぎゅっとつまっている
当たり前にあったものが、いつの間にか失われてしまう。在来作物は栽培の範囲や育てる人が限られているからこそいつでもその危機に直面しています。
三角そばのようにふとしたことから注目され、住民以外のアクションで住民が再認識することになったのは奇跡のようなものかもしれません。だけど、細々とでも残し続けてきた人たちの愛情があったからこそ受け継がれてきたのは間違いありません。
山一つ越えれば、育てている品種が違う、そんな個性を大切にした作物なら、地域の宝物になっていくだろうし、地域で守っている作物に、いつの間にか地域が守られていたということもあるかもしれないなと思いました。
そばの花
(文・写真 稲田瑛乃)
※(参考)山形在来作物研究会ホームページ http://zaisakuken.jp/
越沢三角そば
山形県の摩耶山山麓、新潟県境近くにある越沢集落で100年以上受け継ぎ育てられてきたそば。2016年に山形県の在来作物の認定を受けた。三角そばで作られるそばは、つなぎに自然薯を使用していることからツルツルでコシがある。集落内にあるまやのやかたで提供しているほか、毎年そばのシーズンには、新そば祭りを開催している。
そばの実
まやのやかた
〒999-7314
鶴岡市越沢蛇喰111−1
0235-47-2430