鶴岡市の食文化を紡ぐ人々
No.048 〜べろべろ餅〜
関川もち加工組合 五十嵐喜代さん
関川地区は山形県と新潟県の県境に位置し、四方を山にかこまれた戸数約40戸の地域です。木の皮の繊維を糸にして織る「日本三大古代織り」の一つにも数えられている「しな織」の伝統が受け継がれている場所として知られています。その関川地区で作られている餅加工品が、知る人ぞ知る“べろべろ餅”。作り手のお一人である五十嵐喜代さんにお話をお聞きしました。
五十嵐喜代さん
新雪のように白くてなめらかなべろべろ餅
冬になると雪にすっぽりと包まれたような印象のある関川。集落に入ってすぐ、小さな小屋が今回の取材の待ち合わせの場所でした。手描きの看板で「今も昔も変わらぬ素朴なおいしさ べろべろもち」とあります。喜代さんに案内され加工所の扉を開けると、蒸しあがった米のいい香り。
大きな釜で蒸しあげる
「べろべろ餅は“もち米”でなくて、“うるち米”を使って作っている。うるち米は硬いから2回蒸かすんなやの。」と喜代さんは教えてくれました。 このべろべろ餅、材料はうるち米と塩。作り方は、①うるち米を2度蒸かし、2回目には塩を添加する。②餅練り機に4回通す。③長さに切って、袋詰め(袋詰めのものは1晩乾燥させます)。原料とつくり方はとてもシンプルですが、繰り返しや力が必要な作業も多く、手際の良さもおいしさにつながっているので、シンプルなだけに手慣れた技が重要です。
手描きの看板
べろべろ餅は元々、関川や周辺地域の家庭で自家用に作っていたもので、山での仕事に携帯していたことなどから“マタギ餅”と呼ばれたり、うるち米からできているので“うる餅”と呼ばれ、歴史は定かではありませんが、100年前にはあったのでは、と言われています。この餅は、季節の食と言うわけではないそうで、喜代さんが小さいころには村のおばあさんたちが、食べたくなった時に作っていてストーブで焼いてきなこをつけたり、塩味なのでそのままでもおいしく食べた、と当時のことを話してくださいました。このべろべろ餅を手に取った人は、普通の餅よりも重さがあるように感じる、と言われることもあるそうですが、確かに、中身がギュッと詰まっている分、重量感があります。「昔からの保存食でマタギが持って行ったとか言うし、昔のマタギは丈夫だったし重くても平気なんでねか。」と喜代さんは笑っていました。
コンパクトな作業所
家庭用で親しまれてきたこの餅は、平成4年に道の駅「あつみ」しゃりんがオープンした際に、それまでは海の幸・山の幸が中心だった特産品の中に新たに特産品に加えられないかと当時の支配人だった齋藤吉衛門さんの声掛けがあり、農協と提携し作業場を建て、販売する際の商品名はこのときから「べろべろ餅」になったということです。
何がべろべろしているかと言うと、製造段階で、機械からなめらかな餅がどんどんと出てくる様子が「べろべろ~」としているから、とのこと。見せていただくと、確かに、餅練り機に4回も通しているので、なめらかさが一味違うという感じです。また、もち米のように伸びる粘りではないので、のどにつっかえにくく、そういった特徴も好きな人がいつも買っていく理由ではないかと考えられます。
べろべろ~っとでてくる
「冬場は寒くて大変だなや
1月2月はあんまり作業してくねの」
喜代さんは普段は別の仕事もしながらべろべろ餅の製造をしているので、注文が入った時に、作業場に入ります。今回は、雪の多い時期の取材でしたが、冬の時期はそんなにも注文は多くはないし、何と言っても作業場が寒いので、大変だということです。特に、関川は冬場には餅を作って稼がなくても、しな織で使うしなの糸紡ぎなど、ストーブにあたりながらできる仕事がいくらでもあるので、そっちの方がいいなぁ、と喜代さんはおっしゃっていました。
注文があるのは、イベントの出店のほか、鶴岡市内の旅館や、料理店、地域の集まりで宴会があるときなど、様々です。また、正月前になると関川在住の人が親戚や知り合いに温海の特産品のかぶら漬と共に一緒に箱詰めして送るよう注文が入ることも。「商売をやるぞ!というよりも、誰かがやらねば特産品にならねな~と言うことでやったんだ。」
出来たての餅は長さを揃える
喜代さんは、べろべろ餅だけではなく、関川のしな織への取り組みも支えてきました。昭和60年に建ったしな織センターでは、加工グループが結成されそのメンバーの一人でもあります。それまで糸で販売していただけだったものを、商品にして売るように取り組みを広げたり、しな織に関連する技術の習得を目的としたしな織研修生を2年ごとに募集し(現在は14期の研修生が研修中)、技術を継承していく仕組みづくりも実践しています。
関川は山にかこまれている静かな集落
べろべろ餅づくりも、工程としては難しい事ではないのだけれども、実際にそれをつくる気持ちのある人がいないとできません。『食べたいと言ってくれる人や、必要としている人がいるから、大変だけどつくるんだ』と喜代さんはいいます。「私はやれるだけのことをやるだけ。注文が増えるからっていいわけでもないなやの。配達も頼まれるけど取りに来てくんなでば一番いい。機械の大きさもあるから、3升以上の注文がないとなかなかつくらんねの。」と、手際よく作業しながら話をしてくださった喜代さん。
歴史ある地域と、そこにあるくらし。
関川は、新潟と山形との県境の山里ながらも、人々は土地にあるものを活かしながらこの地に暮らし続けています。マタギの生活の話や、戊辰戦争の跡も残る歴史の深いところです。町に住んでいる人から見ると、便利がいいとは言えませんが、ここにしかないものを大切にしていく、そんな思いを感じる取材になりました。
袋詰めされたべろべろ餅