鶴岡の食文化を紡ぐ人々
No.066 なんぜんじ豆腐
松浦豆腐店 佐藤豊和さん 利栄さん
夏になると庄内の食卓にはお椀をひっくり返したような、「なんぜんじ豆腐」が並びます。ふんわりしていて大豆の味が濃くなめらかな食感が特徴です。地元の人は当たり前にあると思っているこの丸い豆腐ですが、実は庄内地方独特の物です。創業が明治初期という鶴岡市宝町にある松浦豆腐店の4代目佐藤豊和さん、利栄さんご夫妻に話を伺いました。
佐藤豊和さん、利栄さん、和美さん
いつからか夏の風物詩
「なんぜんじ豆腐」その名の由来は諸説ありますが、昔々庄内のお豆腐屋さんの祖先がお伊勢参りの途中で病気になり、所持金もなく京都南禅寺に身を寄せ、そこで学んだ豆腐づくりを庄内に戻って広めたという説があります。庄内のお豆腐屋さんでは、夏になると「なんぜんじ豆腐」の旗を店先に立て、季節限定で販売しています。

なんぜんじ豆腐
先代の技術と想いを継ぐ
先代である利栄さんの父の松浦勝之助さんはとても研究熱心な人でした。脱皮大豆を使って豆腐を作る方法を東北大学の研究論文から見つけ出し、それを参考に脱皮大豆を使った豆腐づくりを始めました。またチューブに入った「栄養豆腐」をこの地域で初めて商品化しました。勝之助さんは、豆腐店を継ぐ前に第二次世界大戦時、旋盤作業の仕事に携わっていたことから、その技術を生かし豆腐製造の道具にも独自に工夫を加えました。利栄さんは、22歳のときに当時勤めていた仕事を辞めて、勝之助さんの豆腐屋を手伝うことにしました。その後、利栄さんと結婚した豊和さんに、勝之助さんは亡くなる直前に作り方を託しました。それから30年、豊和さんと利栄さんは一緒に豆腐作りをしてきました。

生呉(水漬けした大豆を砕いたもの)

おからが出てくるところ
良質な水があるからこその豆腐づくり
貴重で良質な地下水の水質を維持した水の中で、できたての豆腐が気持ち良さそうに浸かっています。「豆腐づくりには良質な水が大量に必要です。この深井戸の地下水のおかげでおいしい豆腐ができるのだと思う」と利栄さんはいいます。「実は以前、井戸が突然かれてしまい、豆腐が作れなくなったことがあります。今の店は以前の店から数軒はなれた場所にあった井戸をさらに掘り進めて作りました。」


姿を消してきた街の豆腐屋
「昔はこの店の前は砂利道で、馬を引いた人が往来していての。先代の頃は、市内に豆腐店が20軒くらいはあった。今はずいぶん減ってしまい、この先このまま変わらず続けていけるだろうか。」と利栄さんは心配しています。「東日本大震災及びコロナの影響もあり、今はどの豆腐店も大変な思いで経営していると思います。」

品質かコストか 残したい手作りの技

豆腐屋は、生ものを作る商売で作り置きができないため、なかなか休みをとることができず大変な仕事ですが、それを見てきた息子さんは、「自分が店を継がないことは申し訳ない。父のような苦労は自分にはできない。ここまでできる父はすごい」と言って鶴岡を離れました。「今は、自分たち夫婦ができなくなったらそこで店は終わりだと思っています。永遠のものなんてないから仕方のないこと。それでもこれまで、夫婦二人三脚でやってきて、婿でもないのに、こんなに一生懸命働いてくれる夫へ感謝の気持ちでいっぱいです。大切にすべきものを大切にしながら繋いできた所に今の豆腐店があるなやの」そう話す利栄さんをみていると所々に豊和さんへの心遣いを感じます。

永遠はないからこそ残したいもの

なんぜんじ豆腐
庄内の冷奴。木綿ごしとも絹ごしとも言えない絶妙な風味と柔らかさを持つ丸い豆腐です。

