鶴岡
食のミュージアム

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食文化を紡ぐ人々 No.042 少連寺地区 熊野神社氏子 宮守家の皆さん

 
 

「春が来た」と思わせてくれるのは次々に咲いてくる花や、暖かくなってきた日差しだけではありません。庄内地方には、例大祭など行事ごとが多く、その行事が季節の変わり目であることを教えてくれます。何百年も続いているお祭りは各集落にあるのですが、今回は田川の少連寺地区の例大祭を取材させていただき、祭行事を通じて家庭で受け継がれる郷土料理のお話を伺いました。

神職のお二人とご主人の徳弘さん

春の訪れを告げる例大祭

柔らかな日差しが差し込む山懐の集落、少連寺。ここは、4つの小集落からなっていて、その合間を縫うように少連寺川が流れ、家々の裏手にはすぐそばまで山の裾がおり、家屋敷のない平地には田んぼが何枚か並んでいます。少連寺の一番奥に熊野神社があり、今回はこの神社の例祭である“おふく様”の行事があると聞き、向かいました。
少連寺の歴史の本によると、「例祭は、過去には5月10日と決められていましたが、昭和40年から4月20日に行われるようになりました。当日は、当屋(神宿)三家と氏子が揃い、三人の神職によって祭儀が厳粛に行われた後、神酒や供物をおろし、直会に入ります。参列者が円座を組んで、次々に大杯を回し一口ずつ飲んでは隣へ回していくという独特の直会です。最後に次期当屋の引き継ぎの行事が行われ、祭りは終わります。」とあります。

神事は当屋の自宅で執り行われる

この祭りは、4月20日に「おふく様」と呼ばれる神様を、当屋の自宅に受け入れ、その年の五穀豊穣、集落の平穏を祈り、毎日水とご飯をあげるところからはじまります。 (実際は、「お鉾(おほこ)様」なのだそうですが、訛りも入り、「おふく様」に変化したようだとおっしゃっていました)


「去年の4月21日から365日毎日欠かさず水とご飯をあげました。」と台所仕事をしながらお母さんの愛さんが話をしてくださいました。

祭りで使用する杯

前日は、昼から宵祭りがあり、氏子さんたちが当屋の家に集まります。熊野神社では、少連寺集落の全戸が氏子になっています。つまり、集落のほぼ全戸から一人ずつ集まることになります。当屋は、3軒一組になっています。

30軒ほどの集落なので何年かに一度組替えが行われますが、当屋は約30年に一度受けることになります。時代が進むにつれ、やり方を少しずつ変えながら実施しています。祭りの準備は、当屋と親戚が総出で行います。「(前回当屋だったのが)30年も前だからなぁ」と言葉を交わしつつ、宮司さんに話を聞きながら準備をしていました。

台所の女性たちは、食事の準備。ぜんまいの煮物、赤こごみのごまみそ和えなどの山菜料理が並んでいます。

丁寧に作られた山菜料理(孟宗汁、ぜんまいとこんにゃくの煮物、赤こごみのごまみそ添え)

25年前に民田地区からお嫁に来た恵里さんが、愛さんと共に台所で作ったものです。「元々はあまり山菜料理を食べる家ではなかった、だからこっちに嫁いで来てからほとんど覚えたんです」と恵里さんはいいます。

それほど距離が離れているわけではないのですが、その土地土地に合った暮らしがあります。ぜんまいの煮物は、山菜料理ではとても一般的なものですが、味付けや合わせる具材は家庭によってさまざまです。

行事で受け継がれる家の味

そういった家ごとの味を、地域の祭りという祝い事の場で客人をもてなすお膳に添えていました。普段の家の食事や料理教室ではなく、人が集まる特別なお祭りの時に、その家の味を丁寧に受け継いでいるのだな、と感じます。
当日は、湯田川孟宗の時期には少し早かったため、南の方から取り寄せた孟宗を使い、一足早い孟宗汁も宴会の席に準備されました。同席された氏子の方々も孟宗汁に春の訪れを感じているようでした。

一般的には神様にお供えする食物を神饌(しんせん)といいますが、いくつか種類があります。明治の初めのころからは生饌(せいせん)と呼ばれる素材そのものを献供する、「丸物神饌」が一般的になっていますが、それ以前は熟饌(じゅくせん)と呼ばれる調理・加工を行った、日常生活における食文化の影響が伺えるものが献供されていたそうです。

熊野神社の神饌(棒たら、鱒、生うど、大根、人参、白かぶ、研ぎ米、水、酒、昆布)

少連寺の熊野神社では、丸物神饌をお供えしていました。生饌は、豊漁や豊作を祈願してお供えするものと考えられているので、土地らしいものが選ばれます。熊野神社の掛け軸の前にお供え物が並びます。

【参考】八幡神社の神饌

近くの集落でも春にはそれぞれのお社でのお祭りがありますが、鰈やねぎをお供えする場合もあるようです。


田川地区で一番大きい八幡神社では、冬場に保存しておいた山菜を調理したものが並びます。おそらく、こちらでは昔の形式のままの神饌(熟饌)が残っているのではないかと考えられます。


家から熊野神社へ神様を背負い神職と歩く

氏子で杯を交わす酒飲みまつり

翌日20日は本祭りです。朝、当屋家族と神職がご祈祷を済ませると、朝食の時間です。この朝食も儀式の一連の一つであり、田川カブ、ワラビ、孟宗、イギス、モズク、三つ葉など山菜や地物の素材を使った簡単な料理が並びます。その後、神様を背負った家長を玄関から送り出し、神職と共に熊野神社へ向かいます。
本祭りでは、宵祭りと同様の神饌に加え、少連寺産の米と小豆で作った赤飯がお供えされます。また、別名酒飲み祭りとも呼ばれるこの祭りには、大量のお酒が用意されます。

お話ししていただいた徳松さん

一般的には獅子舞や神楽が出ることも多い春の祭りですが、少連寺は酒を飲むことが中心なんですね、と聞くと、お父さんの徳松さんは「少連寺の人がたは芸が達者でねぇがら、酒ばり飲むまつりさなったなだ~」と笑っていました。


この日はお社は女人禁制になり、氏子の男衆がご祈祷を済ませたのち、車座になり酒をなみなみと注いだ杯を順番に回します。赤飯も、酒も、米の加工品。米の熟饌ともいえ、米を大切に扱ってきた祈りが垣間見える場面でもあります。

赤飯も全員の皿に取り分けられ、いただきます。最初は静粛に儀式を進めていた男衆も、お酒をまわしていくうちにだんだんにぎやかになり、あちこちから笑い声や話し声が聞こえるようになります。当屋が杯で酒を飲むときは皆が注目し、大杯が空になると拍手が沸き起こります。

氏子が取り囲み、真ん中で当屋が酒を飲む

赤飯を取り分けるのも男衆だ

神様への供物は「お下がり」としてわれわれ人間に下され、みんなでいただくのです。これを「神人共食」といいます。

本祭りでの食についてもお聞きしたところ、
「神様さあげた鱒を汁にしてみんなでくたもんだ、おなごは入らんねがら、幕の外からてづない(手伝い)したなや」と、氏子の方からお話しされていました。料理は出すが女人禁制、他所のひとは入れないというしきたりは最近まで残っていたそうです。一昔前までは神様に上げていた鱒は汁物にしていたそうですが、現在は汁物はなく、赤飯と折詰で直会を開いています。
少しさみしさもありますが、生活様式の変化と共に行事のやり方を変えていくのは仕方のない事であり「無理してやるのではなく、その時やりやすいやり方でやるのがいいんじゃないかな」と恵里さんはおっしゃっていました。
春の始まりに集落の全戸が集合する行事。特別な日だけれど、日常が見える、そんな暖かい日でした。昨年、宮守家には関東からお嫁さんがやってきました。庄内の食べ物や暮らしに慣れるのにはもう少し時間がかかりそうだ、とおっしゃっていましたが、少しずつ、「日常」と「特別な日」をくりかえしながら、色々なことを覚えていくのだろうな、と思います。どういう風にお祭りが変化していくのかわかりませんが、もしかしたら、いまはまだ鶴岡の食文化に出会ったばかりのお嫁さんも、30年後の春の例大祭で山菜料理を作っているのかもしれない、と思うと少し楽しみです。

祭りの食事の準備をする宮守家の女性たち(恵里さん、愛さん、愛香さん)

(文・写真:稲田瑛乃 写真:土田貴文)

少連寺 熊野神社
例大祭「おふく様」

【鎮座地】
鶴岡市少連寺字家ノ前2
【御祭神】
素盞嗚尊 奇稲田姫命
【例大祭日程】
4月20日


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